山形
山形県の日本海側にある、出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山の3つの山の総称)を2泊3日でまわってきました🗻
今回は、およそ1400年前(推古元年の593年)に第32代目崇峻(すしゅん)天皇の第一皇子・蜂子(はちこ)皇子が開いた出羽三山を、昔の人も辿っていた正式な参拝ルートで巡ってきました✨
まずは出羽三山の歴史を簡単に説明しますね💡
今から約1400年前に奈良の都で、仏教推進派の蘇我(そが)氏が神道(しんとう)推進派の物部(もののべ)氏を戦で破るという、大きな国内戦争が起こります。
これは日本の長い歴史の中で、最初の大きな宗教戦争です💡
その時に神道推進派の崇峻天皇が暗殺され、仏教推進派の蘇我氏側についた推古天皇や聖徳太子が政権を握り、それ以降は仏教を取り入れた政治を行います。
そして日本は、それ以降仏教を大陸から取り入れた事で、木造建築の技術が飛躍的に進化し、人々の暮らしが豊かになります。
また、仏教を取り入れてから、読み書きなども出来るようになって、生活水準も発展していきます。
そして、聖徳太子の発案により、遣隋使(けんずいし)などで大陸との交流が盛んになり、大陸の様々な先進的な技術や文明が日本に入り、日本はさらに発展していくんですね💡
現在の奈良県の斑鳩(いかるが)に法隆寺(世界最古の木造建築で日本の世界文化遺産第一号)を建立したり、大化の改新(645年)までは蘇我氏が都で勢力を誇ります。
その時、神道推進派の崇峻天皇が暗殺され、その息子で皇位継承者のはずだった蜂子(はちこ)の皇子が蘇我氏に命を狙われたため、奈良の都をあとにします。
そして、現在の京都から日本海側に出て船で日本海を北上してたどり着いたのが、山形県の日本海側だったという事なんです💡
もちろん都をあとにしたのは蜂子皇子1人ではなく、宮廷の側近から世話係りまで、ある程度の人数で奈良の都から山形県に移り住む事になります。
それにより、当時の都の先進的な文明がこの地に伝わり、出羽三山が信仰の対象となって、都の神道文化が伝わり、それが現在でも残っているんですね💡
それでは歴史ある出羽三山の中で、最初に開かれた羽黒山(はぐろさん)から紹介しましょう👍
写真は、羽黒山の入口にある随神門(ずいしんもん)です✨
神道から始まった出羽三山にも平安時代には仏教が伝わり、もともとあった神道に仏教が融合します💡
今から約150年前の明治時代になるまでの日本は昔から、神道と仏教(神社とお寺・神様と仏様)の両方が融合された神仏習合(しんぶつしゅうごう)だったんです💡
ところが仏教中心の徳川幕府がなくなり、新政府の明治時代に入ると、明治維新の革命が起きます❕
その革命のひとつに、明治新政府が、仏教は神道の後に他国から入ってきた文化なので、日本の古代からある神道を中心として国家を統一し、仏教を廃止する廃仏毀釈『はいぶつきしゃくとは、仏教のお釈迦様の教えを壊すという意味』を発令します💡
そして今まで神社とお寺が一緒になっていたのが、今後は神社とお寺は一緒にしてはいけないという、神仏分離令という条令も全国に発令されるんです💡
それにより、全国にあった沢山のお寺が取り壊されたり、仏教のものを取り除いて、お寺から神社に変わったりしました(住職から神官になる)
随神門も明治になるまでは、お寺にある仁王門という仏教の形で、両サイドに仁王像が立っていたのですが、仏教にあたる仁王像は神仏分離令のために取り除かれ、形も名前も神道の随神門として神道一色になったんです💡
そういった歴史があり、現在の出羽三山は、仏教が取り除かれて、ほぼ神道のかたちになりました。
明治時代になるまでは、全国的にも出羽三山でも、神社よりも、お寺の数の方が倍以上あって、神仏習合だったけれど、実質は仏教中心で栄えていたんです💡
出羽三山を巡ると江戸時代までの神仏習合の形がまだ一部に残っていたりするんですよ💡(それが出羽三山の魅力のひとつでもあるんです)
さぁ その随神門をくぐるといよいよ出羽三山の聖域に入っていきます✨
それでは約1400年前、一番最初に開かれた羽黒山の山頂を目指して参道を歩いて行きます✨
まず参道の始めに、樹齢1000年以上の爺杉(じじすぎ)があり、羽黒山の歴史を感じさせてくれます。
千年以上も前の日本人も、ここを通り、爺杉を見ながら羽黒山をお参りしたんだなと思うと、なんだか感慨深いですね✨
爺杉を過ぎた先には、今から約600年前の室町時代に建てられた国宝の五重塔(東北地方最古)があり、参道にとても映えて、気持ちを高めてくれます✨
そして五重塔の先から山頂までの上りは、2446段の石段が続いています💦
この石段は江戸時代に整備されたもので、ここを歩いてると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようです✨
山頂までの道のりはきついけど、石段がまわりの自然と調和していて、景色を楽しみながら歩ける素晴らしいスポットですよ👍
随神門から山頂の羽黒山神社までの杉木立の参道が、出羽古道(昔からの参詣道を古道と呼ぶ)として現在に色濃く残る出羽三山のハイライトです💡
健脚な方には、是非この出羽古道(でわこどう)を歩いて参拝する事をオススメします。(距離は約2キロでゆっくり景観を楽しみながら、休憩を挟んで歩いても90分くらいです、途中には見晴らしのよい茶店で休憩も出来ますよ🍡)
ただ現在は昔と違い、歩きたくない人は車で有料道路を使い、山頂の羽黒山神社まで行く事も可能です🚙
参道を登りきった山頂には、羽黒山の御本殿があります✨
この御本殿の正式名称は三神合祭殿(さんじんごうさいでん)と言って、羽黒山と月山と湯殿山の3つの神様を祀っています💡
出羽三山は日本海側の山間部にあり、豪雪のため、標高の高い月山と湯殿山は昔から現在でも、1年のほとんどが雪で閉ざされるので、夏から秋にかけてしか山にあがる事が出来ません💡
なので、標高が414メートルと出羽三山の中では最も標高が低く雪の少ない羽黒山だけは、昔から今でも一年中、山頂までお参りが出来るので、出羽三山の3つの神様を羽黒山の山頂に祀ったんです(羽黒山の山頂にある三神合祭殿をお参りすれば出羽三山の3つをお参りした事になるんですよ)💡
羽黒山はふもとから山頂まで、沢山の神様が祀られているパワースポットで、他の神社とは違う雰囲気があり、とても神秘的なんです✨
それは昔の日本人から伝わる自然崇拝のかたちが残っているからで、そこから特別に感じられるものがあるからだと思います✨
自然崇拝とは、美しい自然を敬い、生活する上で自然に生かされてる事を感じて感謝し、自然には精霊や神が宿るという信仰の心です💡
それこそが日本人が大切にしてきた精神の心で、それが感じられるのも出羽三山の大きな魅力のひとつです👍
山の自然を大切にして、自然を崇拝するかたちが昔から今でも残っているのが、出羽三山なんです(観光地化されていないのが良い)💡
俳聖の松尾芭蕉も、この地を訪れて、なんと1泊2日で出羽三山をお参りしたそうです💦
さすが全国を行脚した芭蕉❕
今から約300年前の江戸時代の出来事です💡
1日目はゆっくり羽黒山をお参りして、参道にある斎館(さいかん)という宿坊に泊まりました。
江戸時代までは参道に30軒の宿坊があったんですが、宿坊は仏教色が強いため、明治の革命で取り壊されて、この斎館一軒だけが残ったという事です💡
参道の一番上にあり、三神合祭殿のすぐ手前にあるので、最も格式があったお寺だったので、取り壊されずに残ったようです✨
中に入ると格式が高いレッドカーペットです(ちょっと違うかな)😄
建物は江戸時代から残っていて、とてもレトロ✨
本殿は神仏習合の貴重な形が残っています💡
奥には茶室があったり、江戸時代には、京都から貴族や朝廷の方が参拝の為に宿泊したという勅使(ちょくし)の間も残っていました✨
しかも、建物が登り廊で三神合祭殿につながっていて、翌朝は7時から神官が祝詞(のりと)を唱えながらの祈祷参拝にも参加させてもらえました✨
やはり斎館は格式が高く、昔から今でも、全国から神官や信者さんがここに宿泊しながら修行をする場所なんだという貴重なお話が聞けました✨
一般の人はなかなか泊まれないので貴重な体験でしたよ👍
羽黒山の山頂付近にあるので眺めも良くて、精進料理を食べながら景色も楽しめました☘️
2日目は羽黒山をあとにして、月山(がっさん)へ向かいました。
月山はその名前の通り、月の神様を祭っています、写真は月の神様の使いのウサギ(コロナの為、マスクをして、お出迎え😊)です🐰
月山は出羽三山の主峰で標高も1984メートルと出羽三山では一番高い山で、日本の100名山にも選ばれている信仰の山です💡
八合目の標高1400メートルまでは車で上る事が出来て、あとは山頂まで標高約600メートルを登る片道約3時間の登山となります🗻
月山八号目は仏教の名前の、弥陀ケ原(みだがはら)湿原があり、とても景色がきれいで、高山植物も沢山見れる人気のスポットです☘️
今回は9月なので、紫のリンドウが特に綺麗でしたよ✨
月山は毎年7月1日が山開きで、6月までは雪で閉ざされて上る事は出来ません💡
そして10月の中旬には雪が降り始めて閉山となるので、一年でたった3ヶ月半の時期しか上れない山なんです💡
月山九合目まで登ってきました💦
ここで標高は1750メートル位で霧が出てきました、月山は霧が発生しやすい山で、霧が多いので花が沢山きれいに咲くんです💡
ようやく月山の山頂に着きました💦
霊峰月山の神様を祭る月山神社本宮が山頂にあり、霧が深いため神秘的な感じでした✨
下界の町の中は気温23℃ですが、ここ月山の山頂は標高が1984メートルあるので気温は10℃で9月なのに冬のような気候でしたよ🌀
2日目の月山登山で下山したあとは、湯殿山の宿坊に泊まりました。
ここの宿坊には温泉があり、なんと湯殿山さんの神様のお湯なんですよ♨️✨
月山登山の疲れを癒してくれる源泉で茶色く濁った鉱泉で、とてもいいお湯でしたよ♨️
そして最終日の3日目は湯殿山神社をお参りしました。
湯殿山の入口に泊まったので、玄関口から神社までは渓谷沿いに約1キロの上りで約30分くらいで辿り着きました。
湯殿山神社本宮は山深い渓谷の中にあり、羽黒山と月山とはまた雰囲気が違います💡
湯殿山は出羽三山で最後に開かれた霊山で、昔から出羽三山の奥宮(仏教だと奥の院)とされ、語るなかれ、聞くなかれ、と戒められた神秘の世界なんです⛩️
なので、中は一切写真撮影が禁止になっていて、社殿はなく、お湯が流れている大きな岩が御神体なので、裸足になり、お祓いを受けないとお参りが出来ない神域です✨
まさにお湯が神様で、全国でも温泉が流れていて、そこを裸足でお参りする神社なんて見たことないです💡
しかも出口には足湯まであり、出羽三山のお参りで疲労した足を最後に癒してくれるなんて本当にありがたいです😌
お参りしたあとは、とても清々しい気持ちになりますよ✨
最後に今から約1200年前の高野山、仏教の真言宗を開いた空海の石像です、湯殿山の入口にありました💡
湯殿山も今は神道となってますが、これを見ても古代から神仏習合の聖地で、西の都と出羽三山に深い繋がりがあった事が分かります(昔から皇室や朝廷から庶民まで出羽三山をお参りをしていました)💡
昔から西の伊勢神宮にお参りする事を『西の伊勢参り』と言い、東の出羽三山にお参りする事を『東の奥参り』と称し、一生に一度の重要な人生儀礼のひとつとされ、今の人々の生活にも息づいています✨
また古くから、羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世を表すとされ、出羽三山をお参りすると、生まれかわると言われています😌
今、コロナの大変な時代だからこそ時にはこういった神秘の世界に触れ、生まれかわりの旅なんていうのも、いいかもしれませんね👍
ここには、昔から日本人が大切にしてきた、自然崇拝という神秘的な精神文化が残っています💡
その神秘に触れれば、きっと身も心もリフレッシュ出来る事でしょう✨
山形県にある桜の名所で園 内には桜だけで25種類もあります💡
ここの公園の魅力のひと つは山全体を覆う1000本桜です
これは日本三大桜のひとつ福 島県にある三春の滝桜の2世です。
そしてここの魅力のもう一 つに日本の三大桜や全国・世界各地の苗木が植えられているという事です
これは岐阜県根尾にある 日本三大桜のひとつ薄墨桜の2世
そして山梨県の八ヶ岳 のふもとにある日本三大桜で日本最古の神代桜の2世もあります。
なんと日本三大桜が3つ 全て二世として見れちゃうんですよ❗
他にも 金沢の兼六園で見つかった『菊桜』や
アメリカの 首都にあった『ワシントン桜』などもあります💡
そして、この公園の名前の由来にな った烏帽子石です💡✨
山形県は米沢の桜が満開となりました、東京の江戸城の千鳥ヶ淵もそうだけどやっぱりお堀に桜は映えますね
藩祖の上杉謙信公
二代目上杉景勝と天才軍師・直江兼続
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