これは青森県にある三内丸山遺跡のシンボルです!
今から約5000年前の縄文時代の遺跡から6本の栗の柱が出てきたものを復元したものです
平成になってから約5000年前には、これだけのものを造る技術が縄文人にあったという発見と日本最多の縄文土器の発掘量と日本最大のスケールを誇る縄文遺跡として、いまとなっては日本人なら誰もが聞いた事のある有名な遺跡です
ちなみに弥生時代の遺跡なら佐賀県の吉野ヶ里遺跡が1番有名ですよね?
弥生時代とは約2000年以上前の時代で大陸から稲作技術が入り、鉄の技術も入ってきて暮らしが豊かになったけど争いが始まって豪族が生まれた時代でもあります。
三内丸山遺跡から分かったのは縄文で土器の時代だけれども青森湾に近いので沢山の魚を採ったり、木の実やウサギなどの肉を食べたりして、さらにはブナ林などの大自然の恵みをうけながらおよそ1500年間、平和で豊かな暮らしが続いてたという事です
そしてこれらは復元されたものだけど遺跡からこれだけ大きな規模の竪穴式住居(共同生活)があった事も分かっています
土葺きの住居
藁葺きの住居
高床式の茅葺き住居などが時代ごとにあったとそうです。
人口は200人から最盛期で500人位の村だったようで1500年続いた村がなくなってしまったのは今の青森県のように寒冷地へと気候が変わってしまったからだという事です・・・。
縄文時代の青森県は今よりだいぶ暖かい気候だったようですね